野茂、イチローなどメジャーへの道を切り開いた日本人選手

野茂氏がメジャー・リーグで活躍するまではアメリカの野球関係者やファンにとって日本人選手は謎が多くむしろマイナー・リーガー程度のレベルと思われていたと思います。しかし野茂氏の渡米以降、その認識が変わってきたと言っても過言ではありません。野茂英雄、イチロー、松井秀喜そして遂に日本生まれの選手がスポーツ史上最も高額な契約に到達しました。

MLBで活躍した主な日本人選手

大谷翔平

二刀流(RHP/DH):2018年~現役

大谷選手はベーブ・ルース以来のフル・タイム二刀流選手になることを目指し、メジャー・デビューしました。 そして2度目の先発出場で1安打無失点、マウンド上の輝きと打席でのパワーで、実力を証明しました。靱帯断裂などのケガに見舞われ手術も経験しましたが、フル・タイムで出場した年は投打ともに突出した成績を残し2度の満票でMVPを獲得しています。

前田 健太

RHP:2016年~現在

前田投手は28歳のシーズンからドジャースと8年契約を結びました。 前田はデビューシーズンに32試合に先発し防御率3.48を記録しナショナル・リーグ新人王レースで3位でした。2020年2月にトレードされたツインズでは新型コロナウイルス感染症により短縮されたものの防御率2.70、WHIP0.75を記録し アメリカン・リーグのサイ・ヤング賞投票では2位になりました。

田中将大

RHP:2014年-2020年

田中投手はヤンキースとポスティング・システムに基づいて7年1億5,500万ドルの契約を結びました。7年間で78勝46敗、防御率3.74を記録し、オールスターに2度選ばれました。特に2015年から2019年のポスト・シーズンでは5勝2敗、防御率1.32を記録し、2失点以上を許すことはありませんでした。

ダルビッシュ・有

RHP、2012年~現役

ダルビッシュ投手は2012年、レンジャーズと5,170万ドルという当時の記録的なポスティング入札、6年6000万ドルの契約でMLBへの移籍を果たしました。 ダルビッシュは期待を裏切らず、ルーキー・シーズンに防御率112+、9イニングあたり11.2奪三振を記録し2013年にはアメリカン・リーグでトップの277奪三振を記録しい、サイ・ヤング賞投票で2位につけました。 2020年には新型コロナウィルスの影響で短縮された日程でしたが防御率2.01を記録し、ナショナル・リーグのサイ・ヤング賞投票で2位でした。2023年8月14日、ダルビッシュは野茂英雄氏を抜いて、日本人投手によるメジャーリーグ最多奪三振1,919個を記録しました。

岩隈久志

RHP:2012年-2018年

岩隈投手はメジャー・リーグ最初の4シーズンではマリナーズで先発投手として活躍し、毎シーズン防御率3.54以下を記録しました。 2013年は219回2/3を投げ、防御率2.66、WHIP1.01という成績でアメリカン・リーグのサイ・ヤング賞投票で3位になりました。2015年8月15日のオリオールズ戦ではノー・ヒッターも達成しています。

上原浩治

RHP:2009年-2017年

上原投手の最高のシーズンは、FAでレッドソックスと契約した後の2013年に訪れました。 73試合に出場し防御率1.09を記録しています。 特筆すべきは101個の奪三振に対し四球はわずか9個というメジャー・リーグ史上初めて、1シーズンで100個以上の奪三振、10個未満しか四球を与えない投手になりました。 2013年のアメリカン・リーグ・チャンピオンシップ・シリーズではMVPに選ばれ、さらにフェンウェイ・パークでのワールド・シリーズで胴上げ投手になっています。

黒田博樹

RHP:2008年-2014年

33歳の黒田投手は2008年シーズン前にドジャースと契約しました。ドジャース在籍の2008~2011年とヤンキース在籍の2012年~2014年のメジャー7シーズンを離脱することなく先発ローテーションを務めました。成績以上に常に安定した投球は所属チームに貢献しています。

松坂大輔

RHP:2007年-2014年

松坂投手は当時の記録となる5,110万ドルのポスティング料でレッドソックスと契約しました。2007年は204 回 2/3イニングで20 奪三振を記録しました。ポスト・シーズンではレッドソックスの4年ぶりのワールド・シリーズ優勝に貢献しています。ワールド・シリーズで勝利した初の日本人投手になりました。

松井稼頭央

SS/2B:2004年-2010年

松井稼頭央選手はメッツと3年2,010万ドルの契約を結びました。メジャー・リーグのデビュー戦で初球ホームランを放ちました。2007年にはナショナル・リーグのロッキーズでリーグ優勝に貢献しました。

松井秀喜

LF/DH:2003年-2012年

松井選手は2003年にヤンキースと3年総額2100万ドルの契約を結びました。2004年には打率.298、出塁率.390/、長打率.522、37本塁打という成績を残しました。2009年のフィリーズとのワールド・シリーズでは打率.615、3本塁打を記録し、MVPに選ばれました。

イチロー

RF:2001年-2019年

イチロー選手は2001年にマリナーズに入団しメジャー・リーグに移籍した最初の野手としての日本人選手になりました。2001年には打率.350、出塁率.381、長打率.450の成績を残し、また242安打と56盗塁を記録しアメリカン・リーグ新人王とMVPを同時受賞しています。2001年以降、10年連続のオール・スターに選出され、右翼手として10年連続のゴールド・グラブ賞を受賞しました。

デビュー年の2001年から10シーズンで毎年200本以上の安打を放ち、2004年には262本安打のシーズン最多安打記録を樹立しジョージ・シスラー氏の記録を更新しました。

佐々木主浩

RHP:2000年-2003年

佐々木投手は2000年にマリナーズに入団。ベテラン右腕ホセ・メサが低迷すると佐々木はシアトルのクローザーに君臨しました。 9イニングあたり11.2奪三振、防御率3.16、37セーブを記録し、アメリカン・リーグ新人王賞に選ばれました。2001年にはチーム116勝を記録した際もクローザーを務めています。

伊良部秀輝

RHP:1997年-2002年

伊良部投手は1997年にヤンキースと4年総額1,280万ドルの契約を結びました。ヤンキースのユニフォームを着た最初の日本人選手として歓迎されました。当然 ファンの期待は高く優秀な才能を見せた一方で、6シーズンのメジャーのキャリアを通じて苦戦しています。ヤンキースでの3シーズンでは防御率4.80でした。その後エクスポズにトレードされ2シーズン投げ、レンジャーズに移籍しました。

野茂英雄

RHP:1995年~2008年

村上雅則はメジャーでプレーした最初の日本生まれの選手だったが、日本人選手がメジャーに進出する扉を開いたのは野茂投手と言えます。

野茂投手は1995年5月2日、キャンドルスティック・パークでのジャイアンツ戦でメジャー・デビューを果たし、5イニングを投げ無失点、被安打1、四球4、奪三振7を記録しました。 その年は防御率2.54を記録し、ナショナル・リーグ・トップの236奪三振を記録し新人王を獲得しました。 1996年のシーズン9月17日にクアーズ・フィールドでロッキーズ戦でノー・ヒッターを達成しました。標高が高く打者天国と言われるこの球場で2023年時点で唯一のノー・ヒッターです。

村上正則

LHP:1964年~1965年

村上投手はサンフランシスコ・ジャイアンツと南海ホークスの間の選手育成協定の一環として、1964年に初めてジャイアンツのマイナー・リーグに加入しました。 彼はジャイアンツに派遣されたホークス選手3人のうちの1人で、フレズノにあるサンフランシスコのクラスA所属しました。村上投手は9月にメジャー・リーグに昇格し、弱冠20歳で史上初の日系選手になりました。 1964年9月1日にシェイ・スタジアムで行われたメッツとのデビュー戦では1イニングで打者2人を三振に打ち取っています。

その冬、村上投手は論争の中心にいました。 ジャイアンツは村上投手の権利を主張しメジャー残留を希望しましたが、南海ホークスは日本に復帰するよう説得しました。 この論争は、当時コミッショナーだったフォード・フリック氏(MLB)と内村雄志氏(NPB)の間で決着し1965年はサンフランシスコ・ジャイアンツ所属を認め、1966年にNPBに復帰すると判断しました。村上投手は1965年に54試合に出場し、89回1/3を投げ、防御率3.43、9イニングあたり10.1奪三振を記録しました。

日本人選手のレベルの高さが証明され、多くの選手が渡米し成功を収めています。近い将来日本人選手の渡米がニュースにならないほど、当たり前の出来事になるでしょう。

(※このコラムはこちらの記事を参考にしました。)

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