2024年に惜しくもこの世を去った野球界の偉人たち、野球殿堂入りを果たした人々を中心に振り返ります。
オーランド・セペダ
生年月日:1937年9月17日
命日:2024年6月28日(享年86歳)
野球殿堂入り:1999年(Veterans Committee選出)
メジャーの記録:こちらをご覧ください。
セペダはオールスターに11回出場し、1958年ジャイアンツでナショナル・リーグ新人王に輝きました。1967年カージナルスではナショナル・リーグMVPを受賞しワールド・シリーズ優勝を果たしました。彼は今でもジャイアンツの伝説的存在であり、オラクル・パークの外には銅像が立っています。
リッキー・ヘンダーソン
生年月日:1958年12月25日
命日:2024年12月20日(享年65歳)
野球殿堂入り:2009年(記者投票率94.8%)
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「彼を2つに分けることができれば、殿堂入り選手が2人いることになる」とビル・ジェームズは書いています。得点、盗塁で歴代トップを誇るリッキーのような選手は他にいません。史上最高のリード・オフ・ヒッターであり、ワールド・シリーズで2度優勝し、40代まで現役を続けました。
ホワイティ・ヘルツォグ
生年月日:1931年11月9日
命日:2024年4月15日(享年92歳)
野球殿堂入り:2010年(Veterans Committee選出)
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ホワイト・ラットは、1969年メッツのスカウト兼ファーム・システム・ディレクターとしてキャリアをスタートしました。しかし彼の本来の仕事は監督でした。カンザスシティで、アメリカン・リーグ優勝決定シリーズでヤンキースに負けたロイヤルズを率い、カージナルスでは3回ワールド・シリーズ出場し1982年にはワールド・チャンピオンに導きました。オジー・スミス、ウィリー・マギー、ヴィンス・コールマンと共に率いたカージナルスは、野球界で最も愛されているスピード、守備のチームでした。
ウィリー・メイズ
生年月日:1931年5月6日
命日:2024年6月18日(享年93歳)
野球殿堂入り:1979年(記者投票率94.7%)
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野球界の真の巨人、セイ・ヘイ・ウィリーは、野球界屈指の万能選手でした。オールスターに24回出場し (オールスター・ゲームはウィリー・メイズのためにあったと言われている)、ゴールド グラブ賞を12回、MVPを2回受賞し、1954年のワールド・シリーズでは優勝しています。2024年6月、カージナルスとメイズのジャイアンツが対戦したMLBの公式戦は、メイズがニグロ・リーグのバーミンガム・ブラックバロンズでプレーした時のリックウッド・フィールドで行われましたが、この試合の2日前に亡くなったメイズへの追悼試合となりました。メイズは 2015年に大統領自由勲章を授与しました。
ピート・ローズ
生年月日:1941年4月14日
命日:2024年9月30日(享年83歳)
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メジャー・リーグ史上最多のヒットを打ったプレーヤーはフィールドでは伝説を築きましたが、賭博スキャンダルで1989年に野球界から永久追放されました。
フェルナンド・バレンズエラ
生年月日:1960年11月1日
命日:2024年10月22日(享年63歳)
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メキシコ出身の左投手はフェルナンド・マニアで最も有名な選手でした。ドジャースでデビュー登板した1981年に開幕から8試合で勝利 (5 回の完封を含む) し、ナショナル・ リーグ新人王賞、ナショナル・リーグの サイ・ヤング賞を受賞し、チームをワールド・シリーズ優勝に導きました。バレンズエラはメジャー・リーグ17シーズンで投手として活躍しました。
Hall of Fame weekend 2025
野球殿堂入りのセレモニー (Hall of Fame weekend)のInduction Ceremonyでは、故人の実績を紹介し偲びます。ウィリー・メイズ氏は2024年のHall of Fame weekend前に亡くなっています。
イチロー氏が野球殿堂入りが確実視される2025年のInduction Ceremonyでは参列者全員でリッキー・ヘンダーソン氏に黙とうを捧げます。2024年のInduction Ceremonyに元気に参列していたリッキー。現役時代スピード・スターでしたが、あの世に出向くのも早すぎます。
アメリカ野球殿堂入りメンバーはこちらをご覧ください。
(※このコラムはこちらの記事を参考にしました。)