比類のない功績を残したピート・ローズ氏が83歳で他界されました。ローズ氏は、2024年現在もメジャー・リーグの歴代最多安打記録保持者であり輝かしい成績を残しましたが反面、野球賭博に手を染めてしまい野球界から永久追放されました。アメリカ野球殿堂入りに十分値する成績を残しながらも、この問題により殿堂入りは果たせませんでした。
ローズ氏の成績
シンシナティ出身でレッズのフランチャイズ・アイコンだったローズ氏は、レッズ所属時に試合数(2,722)、打席数(12,344)、得点(1,741)、安打数(3,358)、単打数(2,490)、二塁打数(601)、四球数(1,210)で球団歴代トップの記録を持っていますが、やはり特筆すべきは歴代最多安打4,256安打でしょう。1963年から86年までの24年間のキャリアで、フィリーズとエクスポズでもプレーしました。
主な個人タイトル
1963年:ナショナル・リーグ新人王 歴代新人王はこちら
1973年:ナショナル・リーグ最優秀選手 歴代MVPはこちら
(※160試合に出場し、打率.338、出塁率.401、長打率.437、ホームラン5本、打点64を記録し、ナショナル・リーグMVPに選出されました。)
首位打者:3回(1968年・1969年・1973年)
ゴールドグラブ賞:2回(1969年・1970年) 歴代のゴールドグラブ賞はこちら
オールスターゲーム:17回
1999年:MLBのオール・センチュリー・チーム 関連記事はこちら
主なチーム・タイトル
ワールド・チャンピオン
1975年・1976年:シンシナティ・レッズ
(※1975年:ワールド・シリーズ7試合に出場し、打率.370、OPS.966を記録し、ワールド・シリーズMVPに選出されました。)
1980年:フィラデルフィア・フィリーズ
ローズ氏の歩み
1941年4月14日に生まれたピーター・エドワード・ローズは、シンシナティの西側、オハイオ川近くのアンダーソン・フェリーの労働者階級の地区で育ち、ウェスタン・ヒルズ高校に通いました。卒業後1960年に7,000ドルでレッズと契約しました。ローズは21歳で1963年4月8日にレッズでメジャー・デビューしました。
1970年までに、スパーキー・アンダーソン監督の下、レッズの強力打線、通称「ビッグ・レッド・マシーン」は安定した勝利を収めました。主力にはローズの他、ジョニー・ベンチ、トニー・ペレス、デーブ・コンセプシオン、ジョー・モーガン、ジョージ・フォスターが所属し1970年から1976年にかけて5回の地区優勝、4回のナショナル・リーグ優勝、2回のワールド・シリーズ優勝を果たしました。
1978年:ローズは44試合連続安打を記録。2024年現在メジャー・リーグ史上3番目に長い記録です。最長は1941年にジョー・ディマジオが記録した56試合連続安打です。
1980年:後にアメリカ野球殿堂入りするマイク・シュミットとともに、フィラデルフィアで3度目のワールド・シリーズ優勝を果たし、1983年にはナショナル・リーグのペナント・レース優勝をも果たしました。
1981年:ローズがナショナル・リーグの通算3,361安打を記録し、アメリカ野球殿堂入りしたスタン・ミュージアルの記録を上回ったのはフィリーズに在籍していたときでした
1984年:43歳のローズはエクスポズと契約。モントリオールではわずか95試合しか出場しなかったが、通算4,000安打を記録したのはこのチームでのことでした。その後レッズはトレードでローズをチームに迎え入れ、チームの選手兼監督に就任させました。そして、タイ・カッブの持つメジャー・リーグ通算安打記録の達成を目指しました。
1985年:9月11日にリバーフロント・スタジアムでのパドレス戦で1回裏、ピッチャーのエリック・ショーと対戦したローズは、左中間にシングル・ヒットを放ち通算4,192安打を放ち歴代1位に立ちました。
野球界永久追放について
1989年:MLBの調査官は、ローズがレッズ監督時代に野球の試合に賭けてリーグの規則に違反したと判断しました。当時のコミッショナーのバート・ジアマッティは、「ローズはメジャーリーグから永久に資格を剥奪されるが、1 年後に復帰を申請できる」と宣言しました。ローズはこの条件に同意しましたが、ジアマッティはローズを追放した数日後に亡くなり、その後のコミッショナーはローズを野球界に復帰させることを拒否しました。
この追放により、ローズはアメリカ野球殿堂入りも阻止されました。そして1991年、殿堂の理事会は、野球界から永久追放された者は全米野球記者協会の投票資格を失い殿堂入りも阻止されると決議しました。
ローズは晩年、アメリカ殿堂入りイベント(HOF・ウィーク・エンド)においてクーパーズタウンのメイン・ストリート沿いのショップでのサイン会に欠かさず出席していました。筆者は2024年の本イベントでもローズ氏を見かけました。
波乱万丈の人生を送りましたが、ローズはシンシナティや全国の多くのファンから愛される伝説であり続けました。
(※このニュースはこちらの記事を参考にしました。)