IT技術の進化によりMLBの過去の記録も電子化され、検索条件を与えると即座にあらゆる記録が出力されます。大谷翔平選手が日本生まれの選手のドジャースのホームラン記録を更新しましたが、それまではロバーツ監督が放った7本という記録。IT化以前では気づかれない記録だったのかもしれません。
さて、今回はMLB.comで紹介されたコラムより、12回まで完全試合を記録していたにも関わらず敗戦投手となった選手を紹介します。
その記録は1959年5月26日。ピッツバーグ・パイレーツがミルウォーキー・ブレーブスのホーム球場カウンティ・スタジアムでの試合でした。パイレーツの先発投手は左腕のハーベイ・ハディックスでした。この試合でハディックスが野球史上、最高のパフォーマンスを披露したにも関わらず、史上最も不運な投手になった試合と言えましょう。
当時33歳のハディックスは、メジャー・リーグ7シーズンで通算防御率3.66を記録し、その年までにオールスターに3回選出。1952~56年にカージナルス、1956~57年にフィリーズ、1958年にレッズ、1959年にはパイレーツでの1年目のシーズンを迎えていました。
対戦相手のミルウォーキーには野球殿堂入りしたエディ・マシューズとハンク・アーロンが所属していましたが、この試合でハディックスは9回終了時で78球の完全試合を達成していました。それにも関わらずパイレーツも無得点でしたのでさらに10回~12回に登板し完全試合を継続していました。
ピッツバーグは13回までに12安打を放つもランナーをホームに返す事ができませんでした。3回と9回には三塁までランナーを進めましたが、得点を奪えません。
そして13回の裏、ミルウォーキーのフェリックス・マンティージャが三塁ゴロを打ちました。しかし一塁への送球はそれてしまいました。このエラーでの出塁で完全試合は途切れてしまいました。続く3番のマシューズが犠牲バントを決めてマンティージャは二塁に進塁します。次の4番はアーロンを敬遠の四球で歩かせます。5番のアドコックは右中間の壁を越えるボールを打ちました。
打球はフェンスを越えてホームランですから、3-0でミルウォーキーのサヨナラ勝ちのはずが、ハンク・アーロンはエンタイトル・ツーベースと勘違いしました。それでも二塁ランナーはホームに帰りますのでミルウォーキーのサヨナラ勝ちですが、アーロンは走塁をやめ打者のアドコックに追い越されたためホームランの記録は二塁打に変更され得点も3点のはずが1点でした。
結果的にハディックスは12回2/3を投げ、被安打1、自責点1、四球1、奪三振8で負け投手になりました。過去のMLBの記録で12回以上を投げ、1安打以下の配線投手はハディックスただ1人です。(2024年5月26日アメリカ時間時点)
投手のパフォーマンスの1つとしてゲーム・スコア(GSc)という指標があります。通常は40~70の間に入りますが、100を超えることは稀です。ハディックスはこの試合でゲーム・スコア107と素晴らしいパフォーマンスを記録しました。しかし結果は敗戦投手。敗戦投手でゲーム・スコア107は最高記録です。
ゲーム・スコアについてはこちらをご参照ください。
過去のMLBの20万試合以上で、1959年5月26日のハディックスのゲーム・スコア107を超えるスコアを記録したのはわずか47試合です。そのうち投手が敗戦を喫したのはわずか5試合です。ハディックスに「ハードラック・ハーベイ」というあだ名が付けられたのも不思議ではありません。これら記録もIT化によって容易に導き出せる記録です。
MLBの歴史の中で完全試合は23回しかなく、そのどれも9回を超えたものはありません。ハディックスのこの試合は史上最高の試合とも言えます。
不運でありながらも強いインパクトのある試合、これもメジャー・リーグの魅力と言えるのではないでしょうか?
試合のスコアはこちらをご参照下さい。
ハーベイ・ハディックスのメジャー通算記録
勝 | 負 | 防御率 | 試合数 | セーブ | 投球回数 | 奪三振 | WHIP | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
MLB通算 | 136 | 113 | 3.63 | 453 | 21 | 2235.0 | 1575 | 1.23 |
(※このコラムはこちらの記事を参考にしました。)