Ichiro Hall of Fame Replica Plaque Day編
プラーク入手の使命
3週間にわたる長旅もいよいよ最終日を迎えました。この日の試合開始は13時10分です。開門時間は11時10分ですが、この日はイチロー氏のレプリカ・プラークの配布日です。先着20,000名ですから球場定員の半分以下の数量です。遅くとも開門2時間前に並ばないと不安です。予定時間に球場に到着!早く開門するPENゲート、Tモバイル・ゲートには既に列ができていました。列の最後尾のアメリカ人からの情報ではセンター後方の外野ゲートも早く開門するから、この列に並ぶと良いとのアドバイス。特別なイベントのある日は通常とルールが変わることもありますし、現場判断で開門時間が変わることがあります。当初のプランではチーム・ストアから入場でしたが、並んだ列の長さとこのアメリカ人のアドバイスを信じて2時間をこの場所で過ごすことにしました。余談ですが待ち時間に会話をしたアメリカ人の方、アメリカ軍に勤めていた方で沖縄にも駐留経験がある方でした。イチロー氏がマリナーズに入団した2001年は9月11日にニューヨークでテロがあったため球場の警備のために軍人だった彼は2年間、当時のセーフコ・フィールドに駐在したそうです。この間イチロー氏の練習も間近で見ていたというエピソードも語ってくれました。待ち時間の会話で得られる貴重な情報もあります。
いよいよ開門
予定していた開門時間よりも約20分早くゲートが開きました。そして無事レプリカ・プラークを手にすることができました。壊れていないか中身を確認しましたがギブアウエイにしては出来栄えの素晴らしいプラークに驚きました。後日聞いた情報では試合開始1時間前の12時にはプラークは配り終えていたそうです。並んで正解でした。
永久欠番51のプレート
前日Ichiro Number Retirement Ceremony Nightの際には除幕式があり、センター後方の42番、24番、11番に続いて51番のプレートがお披露目されました。入場直後、混む前にこのプレートと写真を撮ることから始めました。2026年にはその横にもう1人の51番 Johnsonのプレートが加わる予定です。ランディはダイヤモンドバックスでアメリカ野球殿堂入りしましたが、マリナーズはランディの51番も永久欠番として迎え入れました。
今日もグラウンドにはレジェンドが
セレモニー翌日でしたが、今日もイチロー氏はユニフォーム姿でグラウンドにて練習のサポートをしています。クーパーズタウンでもワグナー氏の息子と練習をしてい多層ですが、ここシアトルでもルーティン・ワークを欠かすことはありません。これはファンにとっては嬉しい光景です。現役を引退した今でもホーム・ゲームの練習ではイチロー氏のユニフォーま姿を目撃できます。
始球式はダブル51
初日の始球式は通訳のアラン氏が投手、イチロー氏が捕手を勤めましたが、この日の始球式はイチロー氏が投手でランディ氏が捕手を勤めました。始球式後の記念撮影ではランディ氏が5、イチロー氏が1を指で表現していました。撮影は背面でも行われ背番号ダブル51が見れました。
今日の座席はテラス・クラブ
観戦した席は三塁寄りのテラス席でした。ディ・ゲームの直射日光を避けることができますし、このエリアはチケットを持っていないと入れませんので、コンセッションもトイレも混みません。それでも筆者はお気に入りのクラブ・サンドウィッチとクラム・チャウダーを購入しそれを昼食にしました。ここテラス・クラブも居心地の良い観戦場所だと思いました。
さらに嬉しい知らせが
Tモバイル・パークのバックネット裏の入場ゲート付近にはケン・グリフィー・ジュニア氏とエドガー・マルチネス氏の銅像が設置されております。2026年にはイチロー氏の銅像も設置されるというアナウンスがありました。除幕式のセレモニーも予定されているそうです。今回の旅がイチロー氏を追いかける旅の集大成でしたが、どうやら来年延長戦が行われるよです。旅はまだまだ続くようです。