筆者は2001年のシアトルで開催されたオール・スター・ゲームを皮切りに何度もこの地を訪れて試合を観戦しました。当時はこんな横断幕を作成して持ち込みました。今となっては懐かしい思い出です。
それから24年後の今回イチロー氏を見届ける旅の集大成として参加したのが、クーパーズタウンのHall of Fame Weekendであり、シアトルのIchiro Hall of Fame Celebrationでした。入団当時は24年後にこのようなイベントに参加することは想像もできませんでした。メジャー・リーグ10年以上プレーし、そして常に最高レベルのプレーを継続できないと届かない名誉です。単年の輝きだけでは手が届きません。その位置に日本人初、アジア人でも初めて届いたのがイチロー氏。筆者の四半世紀に渡るイチロー氏ウォッチの締めです。
筆者は2018年以来7年ぶりのシアトル訪問です。チーム・ストアでの買い物からスタートした今回。オープン前にショップのショー・ケースを見ましたが、イチロー氏51番のTシャツ、パーカー、ジャージなどが飾られています。入店しますとすぐにイチロー氏のコーナーが設置されており10種類以上のアパレル商品が目をひきます。奥のジャージのコーナーでも51番ICHIROのジャージが並び、お馴染みの白、紺、緑をベースとしたジャージの袖の部分にNational Hall of Fame 2025とNumber Retirementのワッペンが貼られ特別感を演出しています。この空間だけでもICHIROを実感することができました。
球場周辺で見かけるファンが着用しているジャージやTシャツも多くが背番号51。最も目を引いたのは2001年のオール・スター・ゲームのアメリカン・リーグの選手が着用したジャージです。イチロー氏の10年連続出場の初年はこのジャージからスタートしたのですから。この日ばかりと家のタンスから最高の51番を引っ張り出したのでしょう。懐かしいデザインも網羅された51番コレクションのファッション・ショーでした。
3日間にわたるセレモニーの素晴らしさは、別の記事で紹介した通りです。野球のプレー、準備に一切手を抜かないイチロー氏のスタイルがこの日のスピーチでも感じられました。それに呼応するように球団の演出も素晴らしいと思いました。これで野球人生の集大成とも言えますが、イチロー氏は足を止めません。セレモニー翌日もユニフォーム姿でグラウンドへ、そして8月31日には恒例の女子高校野球選抜チームとの試合を控え、日々トレーニングに励んでいます。まだまだ続きがありそうです。
シアトルを拠点としているイチロー氏。今後も節目のイベントには顔を出すと思います。マリナーズも戦力が整い争いをしています。来年以降も日本人選手がマリナーズに在籍するかもしれません。
今一度シアトルを見直しては如何でしょうか?
余談ですが2001年のオール・スター・ゲームでのイチロー氏の最初の対戦相手は同じ51番のランディ・ジョンソン氏でした。
2026年はランディのナンバー・リタイアメント・セレモニーにイチロー氏も参列予定です。51番繋がりも続きます。
この記事を書いた人
名前:五十嵐和彦
アメリカ野球殿堂博物館永久会員
(Life Time Membership)
プロフィール:1988年のキングドーム(シアトル)でのボストン戦がメジャーリーグ観戦の第一歩。その後1990年にはテキサスでノーラン・ライアン投手の試合を観戦。1995年には野茂英雄投手がメジャーデビュー戦をサンフランシスコで観戦。
イチロー選手がメジャーデビューした2001年にはシアトルでオールスターゲームを観戦。以降毎年渡米し2016年に30都市での観戦を達成した。
クーパーズタウンは、2024年を入れて6度の訪問をしており、うち4回は野球殿堂入りイベント(インダクションセレモニーなど)。
2025年は7月23日にオールバニー入りをし、クーパーズタウンでインダクションセレモニーを自身の目で見た後、8月9日のシアトルでマリナーズの永久欠番セレモニーを見届け、10日のイチロー氏のレプリカプラークの配布日までシアトルに滞在して日本に帰国するという旅程で渡米を決行。
滞在中、大規模なフライトのトラブルに見舞われ、大幅な旅程の変更を強いられたものの、何とか目的を達成することができました。