永久欠番。在籍した選手が突出した成績を残し、ファンにも絶大な人気を誇り、チームに大きく貢献した選手に敬意を示し、その選手の背番号を永久欠番(Retired Numbers)にするものです。
将来。背番号17:大谷翔平選手は加わるのでしょうか?
ドジャースの永久欠番
チームの顔と言える存在! でのドジャースの永久欠番をご紹介します。
背番号1:ピーウィー・リース
認定日:1984年7月1日
全米野球殿堂入り:1984年
ハロルド・ピーウィー・リースは、ブルックリン・ドジャースとロサンゼルス・ドジャース(1940~1942年、1946~1958年)で遊撃手として16シーズンプレーしました。
ブルックリン時代にはのペナント・レースで優勝を7回(1955年の世界選手権クラブを含む)果たしています。 球団史上、遊撃手として最も多くの試合(2,014試合)に出場しています。得点数(1,338)と四球数(1,210)でもドジャースの歴代トップです。
リースの選手時代の記録はこちらをご覧ください。
背番号2:トミー・ラソーダ
認定日:1997年8月15日
全米野球殿堂入り:1997年
トミー・ラソーダは、1976年シーズン残り4試合の時点でウォルター・アルストンの後任としてドジャースの監督に就任しました。ラソーダはその後長期にわたって指揮官として大成功を収めました。
1996年シーズンまでドジャースに在籍し、監督として1,599勝をあげておりメジャー・リーグ歴代監督ランキング13位です。(2023年時点)ワールド・シリーズ優勝も2回(1981年と1988年)、ナショナル・リーグ優勝4回、地区優勝8回を飾っています。
1973年にコーチとして大リーグのスタッフに加わる前は、マイナー・リーグの監督として8年間活躍し、将来のドジャースのスター選手の育成に貢献しました。
背番号4:デューク・スナイダー
認定日:1980年7月6日
全米野球殿堂入り:1980年
スナイダーは、ブルックリン・ドジャースとロサンゼルス・ドジャースでの16シーズン(1947~62年)で最も恐れられた打者の一人でした。
ワールド・チャンピオン(1955年と1959年)を達成しワールド・シリーズにも6回出場しました。 レギュラー・シーズンの通算本塁打(389本)と打点(1,271本)は歴代のドジャースの選手としてはトップです。1950年代にしぼった記録としては326本塁打と1,031打点は全メジャー・リーガーのトップです。
ブルックリン・ドジャース時代の1シーズン本塁打記録43本を保持しています。(2023年時点)1955年の136打点もナショナル・リーグトップです。
スナイダーの選手時代の記録はこちらをご覧ください。
背番号14:ギル・ホッジス
認定日:2022年6月4日
全米野球殿堂入り:2021年
三塁手と捕手としてMLBのキャリアをスタートさせたギル・ホッジスは、その後一塁手に転向し1949年から1956年までの8年間にワールド・シリーズに5回出場するなど、ブルックリン・ドジャース時代の礎となりました。1959年にロサンゼルスで開催されたドジャースの最初の優勝メンバーでもありました。
ホッジスはブルックリン球団史上、1試合で4本塁打を打った唯一の選手です。 ゴールドグラブ賞が1957年から制定されたときも、一塁手として1年目から3回ゴールド・グラブ賞を受賞しています。
ホッジスの選手時代の記録はこちらをご覧ください。
背番号19:ジム・ギリアム
認定日:1978年10月10日
ギリアムは14年間のメジャー・リーグ・キャリア(1953~66年)をブルックリンとロサンゼルスの両方のドジャースのユニフォームを着てプレーしました。ワールド・チャンピオン4回(1955年、1959年、1963年、1965年)とペナント・レース優勝7回に貢献しました。
ギリアムは1,976試合に出場しましたが、これは球団の歴代出場試合数で5位にランクされています。(2023年現在) 1953年にはナショナル・リーグの新人王に選ばれています。 選手としてのキャリアを経てドジャースのコーチを務めたが1978年のワールド・シリーズ開幕前に早くして人生を閉じることになりました。その時点で彼の背番号は永久欠番となり、ドジャースは彼に敬意を表してユニフォームの袖にパッチを着用しました。
ギリアムの選手時代の記録はこちらをご覧ください。
背番号20:ドン・サットン
認定日:1998年8月14日
全米野球殿堂入り:1998年
サットンは1966年にドジャースでメジャー・リーグ・デビューを果たし1980年までチームに在籍し、1988年に退団しましたが再び入団しています。
鉄人右腕は、メジャー・リーグ23シーズンのうち16シーズンをドジャースで過ごし、勝利数233、登板数550、投球イニング数3,814は球団歴代トップにランクされています。(2023年時点)奪三振数は2,696、完封数は52です。
オール・スターに4度選出され、ドジャースでワールド・シリーズに3度(1974年、1977年、1978年)登板しました。1972年にはナショナル・リーグの完封数9でトップ、1980年にはナショナル・リーグで防御率2.21はトップでした。サットンは通算324勝、3,574奪三振でキャリアを終えました。
サットンの選手時代の記録はこちらをご覧ください。
背番号24:ウォルター・アルストン
認定日:1977年6月5日
全米野球殿堂入り:1983年
ウォルター・エモンズ・アルストンは、1954年にブルックリン・ドジャースの指揮を引き継いだときは無名でした。長年マイナー・リーグの監督を務めた彼は、最初のドジャースの監督に就任し92勝を上げ、その後1955年には98勝を上げドジャースを球団史上初のワールド・チャンピオンに導きました。
アルストンは23年間のキャリアでドジャースをナショナル・リーグ優勝6回、ワールド・シリーズ優勝3回(1959年、1963年、1965年)に導き、その間2,040勝を記録し監督通算勝利数ランキングで6位に入っています。 通算3,658試合出場も歴代8位にランクされいます。 (いずれも2023年時点)
背番号32:サンディ・コーファックス
認定日:1972年6月4日
全米野球殿堂入り:1972年
歴代でも圧倒的な左腕投手の一人であるコーファックスは、ドジャースでの12年間のキャリア(1955~66年)で2,324.1イニングを投げ165勝、2,396奪三振、40完封を記録し、サイ・ヤング賞を3度受賞しました。
1963年にはナショナル・リーグMVPに輝いたコーファックスは、1963年と1965年にはワールドシリーズで2回完封を達成しMVPにも輝いています。 1962年から1966年まで5シーズン連続でナショナル・リーグ防御率トップとなり、奪三振王にも4回輝いたほか、3回最多勝に輝いています。さらに、コーファックスはナショナル・リーグ記録となる4回のノー・ヒッターを、1965年には完全試合も達成しています。1965年には382奪三振の全米記録も樹立しています。
コーファックスの選手時代の記録はこちらをご覧ください。
背番号34:フェルナンド・バレンズエラ
認定日:2023年8月11日
南カリフォルニアと母国メキシコの両方で「マニア」を巻き起こした1981年のバレンズエラは、同一シーズンに新人王とサイ・ヤング賞の両方を受賞した初のメジャー・リーガーになりました。
バレンズエラの選手時代の記録はこちらをご覧ください。
背番号39:ロイ・カンパネラ
認定日:1972年6月4日
全米野球殿堂入り:1969年
ブルックリン・ドジャースでの10シーズン(1948年から1957年)において、カンパネラは1955年のワールド・チャンピオンを含む5つのペナント・レース優勝を果たしています。
ナショナル・リーグ最優秀選手賞を3度受賞しています。 1951年と1953年にブルックリン記録の142打点とキャリア・ハイの41本塁打でリーグ・トップとなりMVPも獲得しました。 悲惨な自動車事故により半身不随となりキャリアを断たれました。
カンパネラの選手時代の記録はこちらをご覧ください。
背番号42:ジャッキー・ロビンソン
認定日:1972年6月4日
全米野球殿堂入り:1962年
ジャック・ルーズベルト・ロビンソンは、1947 年にメジャー・リーグ史上初のアフリカ系アメリカ人選手として歴史的な入団を果たしました。 デビュー・シーズンは新人王賞を獲得しました。
ブルックリン・ドジャースのペナント優勝6回(世界選手権優勝含む)の一員として10シーズンの輝かしいキャリアを積むきっかけとなりました。 1949年ナショナル・リーグの首位打者 .342を記録し MVPを獲得しました。
ロビンソンの選手時代の記録はこちらをご覧ください。
背番号53:ドン・ドリスデール
認定日:1984年7月1日
全米野球殿堂入り:1984年
ドリスデールは、ブルックリンとロサンゼルスのドジャースで14シーズン(1956年から1969年)所属し、3回のワールド・チャンピオン(1959年、1963年、1965年)と2つのペナント・レース優勝(1956年と1966年)を獲得しました。
518試合に登板し、勝利数209、奪三振数2,486、投球イニング数3,432.1、完封数49を記録しています。 1959年と1960年にナショナル・リーグの奪三振王だったドリスデールは、1962年に25勝を上げ、三度目のリーグ奪三振王となり、サイ・ヤング賞も受賞しています。 また1968年には6試合連続完封を含む58回2/3連続無失点を記録しています。
ドリスデールの選手時代の記録はこちらをご覧ください。
(※このコラムはこちらのサイトを参考にしました。)